もつ焼き処 赤坂もつ千の最前線に立ち続ける覚悟はあるか

「いらっしゃいま・・・」
にこやかに挨拶をしようとして、あわててしかめっ面に戻そうとしたが遅かった。
死角から大将の拳骨がオレの頬骨を打ち抜き、オレは調理場の冷たいコンクリートの上に転がった。
くっ、オレとしたことが・・・。
気を抜いていたわけじゃないが、以前の飲食店でのクセが出てしまったらしい。
「馬鹿が・・・客に挨拶すんじゃねぇっ」
大将は、倒れこんでいるオレに一瞥もくれず、はき捨てるようにつぶやいた。
そうなのだ。ココは赤坂もつ千。
お客に甘い顔などをしてはいけない店なのだ。
オレはジンジンと痛む頬を押さえながら、立ち上がると、気を引き締めてお客をにらみつけた。
舐められてはいけない。

入ってきた客は呆然としていた。
あたりまえだ。お店に入ったらいきなり店員が殴られて、理由が「お客に挨拶したから」とか一般人ならまったく意味不明だ。
完全に思考停止してきょとんとしているお客。
そんな様子を見てイラっと来たのか、大将は手に持っていた串を刺しかけのマルチョウをお客に投げつけた。
「おめぇこの店に入るのかはいらねぇのかどっちなんだよ!」
「は、はは入りますぅ〜」
さすがは大将、迫力が違う。大概のお客はこのどすの利いた声で小便を漏らしてしまうのだ。
はたして、お客の気弱な塾講師風の男はカツアゲされた中学生のような情けない表情で、店内におずおずと入ってきた。
「入り口でふらふらしてんじゃねぇよ!」
「はは、はい・・」
「席なんて選んでんじゃねえ!そこに座っとけボケが」
よろよろとよろめきながらイスに座り込んだ男の前へ、オレはあわててビールを運んでいった。
ビールがこぼれるようにわざと乱暴に男の前へ置くと、男は改めて戸惑った表情でオレを見た。
「あ、あのぉ・・・まだ注文していな・・・」
口答えするとはナマイキな客だ。
オレは大将から教わった折檻マニュアルを思い出しながら接客を始めた。
「ビールです。これからあなたが注文するビールです」
「えと・・僕ビール苦手で」
「ビールです。お待たせいたしました」
「本当に苦手で・・・」
「ビールです。お待たせいたしました」
「あのう・・・ウーロン茶とか・・・」
「ビールです。お待たせいたしました」
繰り返し押し付けトークは、無表情でしかも圧力をかけるように言うのが効果的なのだ。
しかし今回の男はなかなかしつこい。
大将の言うことは素直に聞くのに、やはりオレを舐めているのだろう。
おれはさっき大将に怒られてイライラしていたのもあって、ついに怒鳴りつけた。
「てめぇさっきからビールは飲めないとか言いやがって、舐めてンのか?
もつ焼きって言ったらビールだろ?まずビールだろ?
とりあえずビールだろ?1にビール2にビール、3・4もビールで5にビールだろ?
なんでビールも飲めねぇのにもつ焼きやにノコノコ入ってきたんだ?あ?
かるく塩振って炙ってある砂肝シコシコ噛みながらビールだろ?
生で食えるような新鮮なやつを半生で焼いたレバーを、ネットリ濃厚な中身と甘いたれと舌で絡めながらビールだろ?
表面がかりっとするまで焼けた皮なのに、舌の上でふわっととろけるような味わいにビールだろ?
プリプリした脂の塊が強い火でさっと炙られて、ジュワジュワって脂が溶け出してるマルチョウに塩も良くあったりするけどビールだろ?
ごま油に岩塩振りかけてさ、鮮やかなワインレッドのレバーの端にちょんちょんっとそれつけてさ、口に入れたらとろけるようなビールだろ?
刺身にビールだろ?
から揚げにビールだろ?
男ならご飯にビールかけて食うだろ?
ビールなんだよ!もつ焼きやだったら!男だったら!人間だったら!
おまえは覚えていないのか?
まだお前が小さかったときに、おまえのおっかさんは貧しいのに何とかお金を工面してビールをよく買ってきていたよな。
それを水で薄めて、哺乳瓶に入れてくれて。
まだ3歳のお前と2歳の弟はそれを奪い合うように飲んでいたっけ。
今は発泡酒みたいなもんがあるけど、あの時代はそんなもの無かった。
ビールはめんたまが飛び出るくらいの高級品だったんだよ。
それでもな、おまえのおかあちゃんは、お、おかあちゃんは・・・」
そこから先は言葉にならなかった。
嗚咽がこみ上げてきて、オレはおんおん声を上げて泣いた。
気が付くと、厨房で大将もおんおん声を上げて泣いていた。
お客の男も負けないくらいの大声でおんおん泣いていた。
大の男が3人。
モツのこげるにおいも気にせず、大声でおんおんと泣き喚いていた。

そんな素敵なお店だと推察されます。